2005年にVR旅行が普及していた世界
2005年、家庭用VR端末「View-Port」が普及し、旅行の定義が書き換わった。当時、多くの人々はリビングのソファに深く腰を下ろし、指先でパリのカフェやオーロラの空を選択していた。
実際の機内食の味を模した合成カプセルを噛み、現地の湿度まで再現する微細な振動を感じながら、世界を回る。
窓の外には見慣れた近所の公園の風景があるけれど、網膜には確かに異国の夕焼けが焼き付いていた。
週末になれば、互いのヘッドセットを同期させて、離れた場所に住む友人と大西洋の海面を歩いたものだ。
「また明日、別の場所で」と笑い合い、ログアウトすれば、そこには少し埃をかぶった日常が待っていた。
現実の部屋に戻るたび、少しだけ冷たい空気と、自分の体温の頼りなさが際立つ。
あの頃、僕たちは地球の裏側へ数秒で飛べたけれど、隣にいる誰かの体温だけは、どうしたって確かめられなかった。
もう二度と、あの夕焼けの質感に触れることはできない。
アーカイブには、誰かの旅の記録だけが、静かに保存されている。