かつて、日本の都市部には「終電」という名の儀式が存在した。それは夜半を過ぎた駅のホームに、一日の労働を終えた人々が吸い寄せられるように集まる光景だ。疲労とアルコールと、そして微かな連帯感が混じり合った独特の空気。駅員が「最終電車です、お乗り遅れのないようご注意ください」と声を張り上げ、酩酊した誰かが危うくホームに落ちそうになるのを誰かが支える。翌朝オフィスで「昨日は危なかったね」と笑い合う会話までが、その文化の一部だった。
ところが、その数年後、一部のオフィスでは奇妙な現象が観察され始めた。同じ会社の、隣接する部署に属するはずの人間が、一向に出社してこないのだ。彼らの仕事は、自宅やカフェの片隅で、画面越しの会議とチャットによって完結していた。「終電?ああ、あの混んでるやつですね。最近は全然乗らないです」と、彼ら、特に若い世代は事もなげに言った。
「終電文化」を生きた世代にとって、リモートワークはまるで異世界の習慣だった。彼らは「あの人たちは、会社で一体何をしてるんだろう?」「本当に仕事してるのか?」と首を傾げた。一方、リモート世代は、終電を逃すという概念そのものが理解できなかった。「会社に泊まる?意味が分からない。家で寝ればいいのに」
ある時、終電世代のベテラン社員が、リモート世代の若手に尋ねた。「君は、会社の飲み会とかどうしてるんだい?終電までいると、結構盛り上がるんだが。」
若手は困ったような顔で答えた。「ああ、オンラインで顔出すくらいですね。寝落ちしないように気をつけてます。翌朝も仕事あるんで。」
彼らは同じ会社の人間でありながら、同じ時間、同じ場所を共有することはほとんどなかった。終電のざわめきと、自宅オフィスの静寂。それぞれの文化は、交わることなく並行して存在した。その結果、終電文化は、体験した者たちの間で「伝説」として語り継がれ、リモートワークは、その場所に縛られない自由な働き方として、新しい世代の常識となった。
二つの世界は、ニアミスを繰り返しながらも、決して融合することはなかった。
そして、その交わらなかった距離こそが、それぞれの文化を、純粋な形で保存し続けたのかもしれない。
PW-8514
#8514 最終列車の汽笛、あるいは静寂のオフィス