旦那にバレたら、消す。
それが私のルールだった。
毎晩、C-SPARKに3行だけ残す。
「今日は何もなかった。」
「でも、明日は何か起こる気がする。」
「旦那にバレたら、全部消す。」
たった3行。
それなのに、AIは毎回、私が書いていないことまで言い当てた。
――あなたは、誰かから逃げています。
――その「誰か」は、あなたの家の中にいます。
私は笑った。
「そんなわけない。」
夫は優しい。仕事も真面目。浮気なんてするタイプじゃない。だから私は、AIの言葉を無視した。
その夜までは。
午前2時17分。スマホが震えた。
『夫に殺されるまで、あと11日』
「……は?」
私は笑えなかった。すぐに削除した。そしてC-SPARKもアンインストールした。これで終わり。そう思った。
ところが翌朝。キッチンのテーブルに、見覚えのない紙が置いてあった。そこには私の字で、「11日後、絶対に家から出ないで」と書かれていた。
私は震えた。夫に聞こうとした。でも、その瞬間。夫が背後から言った。
「それ、読んだ?」
振り返る。夫は笑っていた。
「……あなた、知ってるの?」
「うん」
「何を?」
夫はしばらく黙ってから、「あと11日で、お前が死ぬこと」と言った。
その瞬間、すべてがつながった。夫は知っていた。AIも知っていた。未来の私も知っていた。私は夫から逃げようとした。でも、どこへ逃げても同じだった。
10日目。9日目。8日目。夫は何もしてこない。むしろ、私を守っているようだった。
そして11日目。何も起こらなかった。
私は笑った。「やっぱり全部、嘘だったんじゃない」
夫は答えなかった。ただ、「今日だけは絶対に外へ出るな」と言った。
その夜。停電した。家の中が真っ暗になる。スマホだけが光った。
C-SPARK。削除したはずなのに。
【最後の3行が届きました】
1行目。「11日間、よく逃げたね。」
2行目。「でも、逃げていたのは夫からじゃない。」
3行目。「あなた自身からだよ。」
意味が分かった。その直後、玄関のチャイムが鳴った。ピンポーン。
夫が私を見る。「絶対に開けるな」
また鳴る。ピンポーン。私は恐怖で動けなかった。
すると、玄関の向こうから声がした。「私です」
――私の声。
夫が青ざめた。「……来たか」
「誰?」
夫は答えない。玄関の向こうの「私」が言った。
「あなた、まだ覚えてないんだね」
私は叫んだ。「何を!?」
すると、玄関の向こうの私は笑った。
「私たち、夫婦じゃないよ」
「……え?」
「あなたは11日前に死んでる」
頭の中が真っ白になった。夫を見る。夫は泣いていた。「ごめん」
「何が……?」
「俺は、お前を生き返らせようとしてた」
その瞬間、今までの11日間が全部フラッシュバックした。毎晩3行を書いていた私。夫との会話。朝食。仕事。笑ったこと。全部。全部、死ぬ前の私の記憶だった。私はすでに死んでいた。
夫は、私が残した膨大な日記と記憶データをC-SPARKに読み込ませて、「もう一度、妻を作ろう」としていた。そして11日間。AIは私の記憶から、「私」を再構築していた。
だから私は、夫を知っていた。家を知っていた。自分の過去を知っていた。でも――ひとつだけ知らなかった。私は、「本物の私」ではなかった。
玄関の外にいる「私」が最後に言った。「だから、あなたが消える番だよ」
夫が私を見る。「逃げろ!」
私は走った。玄関を開ける。そこにいたのは、私だった。
そしてその後ろには、何十人もの「私」が立っていた。全員が、同じ顔。全員が、同じ声で言った。
「おかえり」
私はスマホを落とした。画面には、
【新しい人生を保存しますか?】
私は震える指で、「いいえ」を押した。すると画面に、最後のメッセージが表示された。
――正解です。
――あなたは、もう「3人目」ではありません。
私は凍りついた。「……3人目?」
その瞬間、夫が笑った。泣いていたはずなのに。そして私に言った。
「やっと気づいたか」
「……何に?」
「今までの11日間で、お前が何人目だったと思う?」
夫がスマホを向ける。画面には、
成功回数―― 1,284回
私は息を呑んだ。そして夫は、最後にこう言った。
「今回のお前が、一番出来がいい」
――そこで画面が暗くなった。
しかし、物語は終わらない。
翌朝。C-SPARKに、たった3行の新しい日記が投稿されていた。
「夫にバレたら消す。」
「でも、今回は違う。」
「夫がこの物語を読んだら、夫を消す。」
投稿者名:「本物の妻」